「そう信じたいけどさ、オレも」
力をこめて佐藤はうなずく。とにかく藤井を男子生徒共通の敵だととらえているようだ。…佐藤が女に縁がないのは、もとからのことだったはずだが。
「加橋、おまえ、今日も部活でしのぶ先生に会うだろ? 釘をさしとけよ」
「今度はそっちかよ…」
呆れたように返しながら。ちょっと考えてしまう修一。

確かに。桜井しのぶ教諭は修一の所属する美術部の顧問であるから、毎日のように顔を合わせる。
(けどなあ…)
どうすりゃいいやらと思案しながら部活に出た修一だったが。
先生、聞きましたよう」

女子部員のひとりが、あっさりと解決してくれた。

「教生の藤井先生と、かなり親密らしいじゃないですか」
(寺田、ナイス)
その寺田という女子に、心の中で点を与える修一。日頃は幽霊部員のくせに、ゴシップ目当てで出席したらしいことも許す。

「そんなんじゃないわよ」
他の部員のそばに立って、製作中の絵への助言を与えていた桜井先生は、苦笑を向けてそう言った。
あまり美術教師というイメージにはそぐわないような、淑やかな容姿と物腰の女教師だ。長い艶やかな髪を大きくまとめて背に流している。

「えー、でも、お二人が睦まじく話してる現場は、何人もの生徒に目撃されているわけですが」
芸能リポーターよろしく追及する寺田。どうやら彼女は藤井のシンパではないらしい。
しかし、桜井先生は余裕の笑みで受け流す。

「大学がね、私も東京だったでしょう? それで、住んでいたところも、いまの藤井先生の住まいと近くでね。そういう話題で、ちょっと盛り上がったの。それだけです」

動揺を見せない態度に、修一はひとまず安堵する。
しかし、なおも食い下がる寺田や、その馬にのりはじめる他の部員たちに対応する先生の表情は、満更でもないというようにも見えてしまって、チクリと胸を刺す。

さほど強くハッキリとした感情を桜井しのぶに向けているわけではないが。好意と親近感を抱く女教師が、いきなりやってきた実習生と妙な関係になってしまうのは、面白いことではない。
(……結局、俺も佐藤たちと変わらないか)
などと、自嘲していると、
「……加橋」
不意に隣りから声を掛けられた。妙におどろおどろしい声を。

ふり向けば、カンバスを並べていた三年の久保が暗い目でにらんでいた。
「なんすか、部長?」
聞き返しながら、あ、この波動は最近すっかり馴染みがある…とか思った。

この春、定年で引退した前任に代わって桜井先生が顧問となったときには、本当に嬉し泣きに泣いたという久保である。美術部のマドンナへの思い入れは修一などよりずっと深いことはわかっていたから。

果たして、久保部長は思いつめた口調で切り出す。
「藤井ってのは、加橋先生の教え子だったんだってな?」
「あー、そうらしいすけどねえ」
ポリポリと頭をかいて。修一は、聞かずともわかる久保の言葉の続きを遮って、
「まあ、あと10日もすれば、いなくなるわけですから。心配することはないでしょう」
力をこめて、そう言い切った。
(……しかし。さんって、やっぱ、そういうイメージなんだな)
鶴の一声、とか。若造なんぞ、ひとにらみで黙らせるとか。そういう存在だと、みなが認識しているのだなあと、改めて確認した。

藤井らの実習期間が残り半分となった頃には、修一は心底うんざりしていた。相変わらず闊達に過ぎる勤務ぶりの藤井に対して、加橋先生の影響力の行使を望む声を何度となく聞かされるはめになっていたからだ。

しかし、“女子生徒にモテすぎて男子のやっかみがうるさいから、なんとかしてくれ”などとには言えない。

また、奈津子のほうからも、藤井の実習態度について、修一に尋ねるということはなかった。

かつての教え子だということを考えれば、やや冷淡な態度にも思えたが。直接の監督係ではないという立場から、口出しを謹んでいるのだろうと修一は推測した。
の性格からして、いかにもなことである。そして、の対応がそのようであれば、ますます修一からは、つまらぬ訴えなどしにくくなってしまう。

結局、修一は、周囲からの懇請へのお決まりの返答、“あと数日の辛抱だから”という言葉を自分にも言い聞かせて。その日を真剣に待ちわびるようになっていたのだが。

皮肉なめぐり合わせというのか。放課後、部活へと向かう途中の廊下で、親しげに話しこむ藤井と桜井先生の姿に出くわしてしまう。

足を止めて、楽しそうに談笑する二人を、遠く修一は眺めた。そのそばを通りぬけるのもためらわれたし、きびすを返して回り道をするのも馬鹿げている。
幸いにも、ほどなく二人は話を終えて。桜井先生は美術室の方へと向かっていった。

「…やあ」
藤井が修一に気づいて、歩みよってくる。
「うん? どうしたのかな。そんなににらみつけて」
「…………」
にらんでいるつもりはないが、憮然たる顔になっていることは、修一も自覚する。

藤井が笑う。どうしたと聞きながら、修一の内心など見通しているように、
「心配はいらないよ。別に、桜井先生に対して、妙な下心は持ってないから」
「別に、そんなことは…」

カッと頭に血を昇らせながら返した修一を、まあまあとなだめて、
「確かに、彼女、なかなか魅力的だとは思うけど。俺は、それほど趣味でもないな」
「…………」
修一は、思わず呆気にとられる。急にくだけた藤井の口調と、倣岸すぎる言いぐさに。
「そう。好みというなら、奈津子先生のほうだな。俺は」
「はあっ!?」
素っ頓狂は声を張り上げてしまった。

(…な、なに言ってんだ? こいつ)
「憧れてたってのは、単に教師としてだけじゃないってことさ」
「……趣味、悪いんですね」
「どうして? 奈津子先生綺麗なひとじゃないか」
他意のない口調で藤井は言った。

それは…事実だ。修一もひそかな自慢に思っている。だが、何故だか感情を害されてしまって、
「……そんなこと言うの、藤井先生だけですよ」
つい反論してしまった。

「そうなの? うーん、確かに威厳があるからな、奈津子先生は。気安く話題にはしにくいかな」
「それ以前に、年が…」
藤井の見解に正しさを感じながら。なおも修一は、そんな言葉を続けてしまう。
現実に高校生の子供を持つ母親であるのだから。容姿のことなど、生徒たちの関心の埒外だろうと。それは、修一と三才しか違わない藤井にしても同じことであろうと。

……やけにムキになって、藤井からのへの賞賛を否定したがっている自分に気づく。
(なにやってんだ? 俺)
こんな妙な話題で、話したくもない相手と話しこんでしまって。
「まあ、ともかく」
修一のバツの悪さを知ってか知らずか、藤井は明るい声で、

「そういう憧れもあるぶん、奈津子先生には弱いんだな、僕は。だから、あまり悪い評判は先生の耳に入れないでくれよ? 桜井先生のことだって、本当になんでもないんだからさ」
「……はあ。言いませんけどね」
頼むくらいなら、少しは慎めばいいじゃないかと思う。

……なにか。話をはぐらかされた気もした。消化しきれないものが残ったような。
思いがけず会話の機会を持っても、修一の藤井への心象は良くはならなかった。
逆に、その存在への疎ましさを強めただけだった。

翌日。
「ニュース! じつに愉快きわまるお知らせ!」
昼休みが終わる頃教室に戻ってきた佐藤が大はしゃぎで告げた。
「ついに! あの藤井のヤローに天誅が下されますた」

喜色満面、瓦版屋のように報告するには。
廊下で、例のごとく取り巻きの女子生徒たちに囲まれていた藤井が、通りがかった奈津子先生に呼びつけられ、国語準備室へ“しょっぴかれて”行ったのだという。

「マンツーマンでさあ。そりゃあもうキツくお灸をすえられてたぜ。教師としての自覚が足りない! ってさ。あの奈津子先生のカンロクだからさ、さすがに藤井も神妙なツラでハイハイって」

「…まるで、見てきたみたいだな」
「見てたもの」
「はあ?」
「隣りの資料室の窓から身を乗り出してさ。一部始終を見届けましたよ」
「おまえ…」
「だって、こんな痛快なシーンを見逃せる? いやあ、さすがは奈津子先生だよ。特に声を荒げるとかじゃないんだけどさ、それでもスッゲエ迫力で。覗いてるオレも、思わずビビったくらい」
「…そりゃ、覗きが見つかってたら、藤井以上に怒られてたろうけどな」
「ああ、けっこう怖かった。でも危険を冒した甲斐はあったぜ。あの藤井がションボリうなだれてる姿、ククク、思い出しただけでさあ」
「……ふうん」


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