小さい頃から姉が好きで好きでしょうがなかった。はじめのうちは単なる家族愛。だが姉が中学に入り、自分だけが小学校の取り残されると(小五)、心落ち着かなかった。一つの同じ学校におれば、会おうと思えば会えるのに対し(っていっても家の外で家族と顔を合わすほど気まずいことはないと考えていたから、たまたま廊下で知れ違ってもお互い知らん振りしていたが、俺は姉の姿を眺められて内心嬉しかった)小学校と中学校とに分かれてしまえば、姉の姿を確認することが出来ない。それに小学生にとっては中学校というのはワンダーワールドで、姉の日常が全く見えてこない。想像も出来ない。何も姉が自分に隠れて(姉には隠れているつもりも何もないだろうが笑)男と何かしているのではないかと考えて不安になったのではない。
ただ姉が見えないことが不安だった。 それに第一俺はほとんど全く何の性的な知識も持ってなかった。 その証拠に今も覚えている恥ずかしい記憶がある。 小学校五年の保健の時間、担任の先生から性の仕組みを教わった時、当時質問出来る子ほど優等生だと信じていた俺は、「先生、精子と卵子によって子供が出来ることはわかったのですが、制止は男、卵子は女の体にしかないんですよね?じゃあいったいどうやってこの二つがくっつくのでしょうか・・・?」などと、クラスのみなの前で誇るかのように尋ねたのだった。 今考えるとやっぱりちょっと赤面する。 俺らの年代だとまさかすでに体験していた子はいなかっただろうと思うけれど、性交について早熟な知識を持ち合わせた子はいただろうと思う。 というより、多くの子が知っていたかもしれない。 俺とてウブとはいえ、男友達とおっぱいがどうしたなどと悪戯めいた心持で語ることはあったし、近所の公園の茂みに、雨に打たれた大人の週刊誌なんぞが落ちていると、「わあ、エロ本だエロ本だ」と、本当は見たいくせに遠巻きに眺めて騒ぎまわる、というようなことはしょっちゅうだった。 でも「おっぱい」(お尻だの腰の魅力なんて点でわからなかったし、ましてマソコなんてものは、そのことばも知らなかったよ。 都市の平均的小学生ってそうだったよね?汗)と保健の時間の「セックス」だの「受精」だのとが、俺の頭の中で結びつくのはもっともっとずっと後の話。  ずいぶん姉の話から遠ざかってしまった。  姉は中学に入ると吹奏楽部に入った。 トロンボーンをやることにした、とある晩の食卓で姉が嬉しそうに報告すると、母は少し困ったように笑って「でも、高いんじゃないの?」といった。 姉は屈託なく「ううん、楽器は学校にあるから大丈夫。でもマウスピースだけは自分で買いなさいって先輩がいってた」「マウスピースって?」と俺「ま、ラッパの口をつけるところですな。そこだけ取り外しが出来るようになっているのであります」姉は少し興奮しているようだった。 「でもなんでトロンボーンにしたの」「えー、だって何かかっこいいじゃん。ほかの楽器は指で穴ふさいだりして音を変えるけど、トロンボーンは管の長さを変えて音をだすんだよ。ちょっとかっこいいじゃん」そこで初めて僕はトロンボーンがどの楽器のことをさすのかをようやく知った。 ああ、あれか。 なるほど、たしかにどこかかっこいい気がする。 「みさちゃんはトランペットやるっていってた」姉の友人で、小さい頃はよく姉と一緒に俺も遊んだ。 俺には準幼馴染といったところか。 「トランペットはどうやって音変えるの」「トランペットはねー、こうやって構えるんだけど、ここのところに、まあボタンとでもいえば通じるかなあ、そういうものが三つ並んでいてね、それを押すことで音を変えるの」姉は箸を持ったまま顔の前でそういう格好をした。 小さく顔の前でまとまったその姿を見て、俺は一層トロンボーンの格好良さを思った。 トロンボーンの方が活発な姉にはいかにも似合っていると思った。 ただし、すらりと綺麗な姉の指を目立たせるには、むしろトランペットなんだなあと、そんなこともちらりと思った。  それからどれくらいあとの事だったか覚えがないが、さして遠からざる四月か五月のある日、姉が学校の帰りにみさちゃんをうちに連れてきた。 セーラー服を着た俺の準幼馴染は数年あわぬ間にちょっと大人っぽい顔つきになっており、そのみさちゃんと並んだ姉も、なんだか急に遠い大人になってしまったような気がしてぎくりとした。 今更小さい時のように、姉を真似して「みさちゃん」と呼ぶのもはばかられるし、かといって急に「ミサコサン」だの「小倉サン」だのと改めるのも、かえって物笑いの種になる気がして、黙って三人並んで用意されたおやつを食べていた。 姉とみさちゃんとは何がおかしいのか、肘で突っつきあっては笑いをこらえかねている。 母も気が利かない。 俺が邪魔者じゃないか。 確かに昔一緒になって遊んだけれど、今となってはどういう態度をとればよいものか全く判らない。 みさちゃんのことは嫌いでもなんでもなく、むしろこうして再会出来たことに喜びを感じていたが、それでも我々三人を「幼馴染」でくくり、それで現在の関係まで束縛されてしまうのはたまらないと思った。  けど結局そういうモロモロの物思いは、つまりはテレ、だったのね。 それまでみさちゃんの方も一度も俺の名を呼ばなかったが、おやつを食べ終わり(みさちゃんは丁寧にお皿を台所まで持っていった)、「さてと。私ン部屋行こ」と誘う姉についていきながら、「(おれ)ちゃんも行こうよ」みさちゃんがそう俺を昔の呼び名で誘ってくれたとき、一瞬びっくりし、それから涙が出るくらい嬉しかった。 そういえば俺は昔、二つしか歳の違わないみさちゃんに(小さい頃なら二つの差は大きいが)、姉には恥ずかしくてあらわせないような、ありとあらゆる甘えの心情で寄りかかっていたような気がする。 じゃれ付いていた、といっていい。 そうした関係であった俺とみさちゃんであってみれば、言い訳に聞こえるかもしれないが、みさちゃんの方から過去の俺を許す、とでもいった笑顔を向けてくれないことには、さすがに小学五年の俺には、みさちゃんをみさちゃんなどという甘ったるい名前で呼ぶことは出来なかったのだ。  姉の部屋では人生ゲームをしたり、漫画を読んだり、一部俺には「つまんね?!」と思われるお話をしたりしながら遊んだ。 姉の手前、というよりさすがにこの年齢、みさちゃんのひざに甘えかかるようなことは出来ないし恥ずかしすぎるが、それでも相当俺は童心に帰って、楽しく過ごしていた。  そのうち二人の話が中学のことになり、吹奏楽部のことになった。 俺にはよくわからないので、もじもじしながら面白くもない二人の話を聞いていたが、みさちゃんが突然トロンドーンの構えを真似しながら、ピストンピストン、とひょうきんな声を出して笑った。 そしてまた姉も「やだ?」とみさちゃんの肩を抱くようにしながら笑い崩れたとき、俺は雷に打たれたように、ハッとした。 すでに述べたように性交だの何だのといったことを何も知らなかった俺だったが、二人が何か「いけない」ことを笑っているのだ、あまりおおっぴらに出来ないことで腹を抱えているのだということだけは判った。 そして急に二人が気味悪く、遠い存在に思われた。  汚らわしいというか、下卑ていると思われた。 適当に二人に合わせて笑って見せたりしたが、心の中では嫌悪感が渦巻いていた。  しかし嫌悪感が強ければ強いほど、あれがいったいなんだったのかに関心を持たずにはおれなかった。 そして道端に落ちているエロ本が(そのころエロ本は「買う」なんてとんでもない、こっそり「拾う」か、道に落ちていてもつとめて冷静に「無視する」ものだった)、姉やみさちゃんとつながっているだろう事を直感していた。 それにしても、長年会わなかったみさちゃんはともかく、毎日同じ家に寝起きしていた姉が、「ピストンピストン」という他愛ない無意味な冗談の中に意味を見出し、そして恥ずかしげに大笑いしていたことは、衝撃だった。 何か裏切られたとさえ感じた。 姉が先に進んでいってしまった、というよりは、姉だけが俺をおいて堕落してしまったと感じた。 「ピストン」の笑いは、明るく健康的なものではなかった。 コソコソと人目を忍んで行われる、陰性の笑いだった。